昔の上司が亡くなった。私の直属の上司だった。今日、葬儀だった。どこかに気持ちを吐き出したいので、多分これっきりの投稿をする。
月曜日に訃報を知った。新しい職場でも、以前の職場とやり取りがあったので、やり取りの窓口になってくれている人から知った。昼頃に電話が来た。今、取り急ぎOBに訃報を知らせているんだと。転職した人ってOBって表現するんだと思った。
一週間前に倒れ、電話の前日に亡くなったみたいだった。
実は、まだ、以前の会社で働き続けている同期から、その話は聞いていた。急に倒れて、意識不明の状態が続いていると。回復の見込みが無さそうだと。病名などは伏せるが、不摂生の塊のような人だったので、まあ、そういう倒れ方をするのは、他の人より想像がついた。
電話で知らせてくれた人は、私と通常の仕事のやり取りをする間、その人が倒れたことを黙っていた。だからなのか、非常に言いにくそうにしていたので、私の方から同期から聞いてますよ。と言った。この人も、職場の仲間が亡くなったという内容を、たくさんの人に知らせるのは辛かろう。ほとんどの人は寝耳に水のような反応をするのだろうし、大変な役回りだと思った。
取り急ぎ、亡くなったことの連絡だった。葬儀とか、もし、出られるのなら……(出たいです)。そのように私は言った。言いながら、転職して5年ほど経ち、その間全然連絡も取っていなかったけど大丈夫かな?とも思っていた。私のような立場の人が参列しても良いのだろうかという気持ちがあった。けど、葬儀に出られるのなら……。と口から出ていた。電話口の人からは、まだ葬儀の内容とか、家族葬にするかもとか、決まってないみたいだけど、参列できるなら、ぜひしてあげてください、と言われた。ホッとした。
普通に考えて、少しでも関わりがあったなら、まあ、生きている側の気持ちに任せられるところであって、私が参列しても迷惑がるような人はいないと思うが、え、誰だっけ。あ、あの子か。来るんだ。へー。と思われたら嫌だな。という気持ちがあったのだ。自意識過剰だ。ちなみに退職は円満にしている。
私は喪服を持っていなかった。まだ葬儀に出られるかどうか分からない状態だったが、とりあえず急いで買わなければならない状況になった。その日は仕事を定時で終え、急いで店舗へ向かった。(訃報を受けてからの午後、結構大きな仕事があったが、とりあえず冷静に終わらせた)
私は今年30歳だ。友達、両親健在、数年前にじいちゃんが亡くなったが、残りのじいちゃんばあちゃんは元気で、喪服を必要とする機会が無かった。じいちゃんが亡くなったときは、母親の喪服を借りた。
だから、こういうときに必要なものが正直よく分からなかった。喪服、黒いバッグ、ストッキング、パールのネックレス?イヤリングとかもあった方がいい?アクセサリーつけるのがマナー?確かに無いと黒一色で地味だけど。あとはとりあえず結婚式みたいな感じでお金を包んだり、袱紗とかいる。数珠も無ぇな。はたして紳士服売り場で買う数珠が効力があるのか。
紳士服売り場にて、店員さんに全力で頼り、いろいろ試着をしながら、はい買います。買います。と言う。
喪服、その他一式はマジで高かった。大人の買い物だった。どえらい出費だ。心が痛まないか?こんな若者から10万弱も取って……。そう思いながら会計をした。まあこれが仕事だし、私のように切羽詰まっていろいろ買いに来る若者など見慣れているだろうから、別に痛まんだろうな。とも思った。
これで今後誰かが急に亡くなっても大丈夫になった。紙袋がでかすぎて、行きに乗っていたチャリを押しながら帰った。
家に帰って、ドッと疲れを感じながら、紙袋を開封した。こんなに開封する気の起きない紙袋ってあるんだと思った。値札を切ったり、もう一度試着してみたりした。私は元々痩せ型なのだが、喪服を着るとさらに痩せて見える。でかい買い物だったので、この喪服を一生着続けるつもりで、体型維持しなければならない。
もう非常に疲れていたが、香典袋が無かったので、頑張ってコンビニに買いに行った。香典袋とデニーズのグラタン(冷凍)を買った。
次の日の出勤途中、電話で訃報を知らせてくれた人から葬儀の日時のショートメールが来た。その日の夜に通夜、翌日に葬儀だった。
〇〇さんの葬儀内容が分かりましたので連絡しますという文章を読んで、なぜだか実感がドッと押し寄せた。多分〇〇さんという名前が書かれていたからだと思う。喪主が上司の父親になっていた。父親の名前を初めて知った。真面目そうな印象を受ける名前だった。息子の喪主を務めることになった気持ちを思うと、言葉が出てこない。
ショートメールに、平日で参列は難しいだろうからもし弔電とかだけでも送ってもらえたら本人も喜ぶと思います。と添えられていた。なんか親族みたいな言い回しだなと思った。もしかしたら親族の方からの連絡をそのまま回しているのかもしれない。
現在の上司には前日に少し状況を話していた。朝一番に、喪服買えた?お葬式決まった?と話しかけてくれたので、葬儀の日取りと、有給と取りたい旨を話した。その日に通夜に行っても良かったが、同期が葬儀の方に行くと言っていたので、私もそうすることにした。
急な有給は快諾された。良い会社だし、良い上司だ。亡くなった上司とは別のベクトルで良い上司だし、良い人だと思う。
その日の仕事は滞りなく終了。
夕方、今の上司と、ポツポツと前の職場と前の上司のことを話した。
新卒で入社した会社の直属の上司だった。当時その人は課長で、私の教育係みたいな立場で、私と一緒に外回りをすることが多かった。
仕事内容を丁寧に教えてくれるようなタイプでは無かった。精神的にか弱い新卒のメンタルケアをするようなタイプでもなかった。課長という立場上、若手をまとめていたが、面倒な人が嫌いで、手間のかからない人が好きだった。まあ誰しもそうだろうけど、それがあからさまだった。生活態度も、まあ……よく言えば少年のまま大人になったような人だったが、仕事ができて、頭の回転が速くて、人懐っこく、なんか心を許してしまうような人だった。
私は煙草を吸わないが、その人の喫煙タイムには喫煙所に一緒に行った。そういう習慣があったのだ。
会社の駐車場の端で、くだらない話をした。その人の愚痴を聞いたり、誰かの恋愛の話を茶化したり、猥談をしたり、時には真面目に仕事の話をしたり、もうこの仕事辞めて一緒に別の仕事しようぜーという話をした。上司の言う別の仕事の形態はコロコロと変わった。風俗やって俺を養ってくれという形態が流行していたときもある。今考えるとコンプラも泣いて逃げ出すぐらいやばい。女性の部下にする冗談ではない。私は〇〇さんが現場で、私が経理兼用事棒なら良いですよ。ニッチな需要を狙いましょう。と返していた。会食かなにかで食べたとうもろこしの天ぷらが美味しかったらしく、翌日一緒にとうもろこし畑やろうよ。と言われたときはマジで笑った記憶がある。子どもじゃねーかと思った。
私は上司にとても心を開いていた。私は人からよく分からないとか、壁があるとか、心を開いていない感じがすると言われる。そしてそれはその通りだった。一定の距離感を保った人に良い印象を持たれるのは得意だが、真の意味で仲良くなることが非常に苦手なのだ。
上司は私の壁などお構いなしの人だった。気づいていてあえて踏み込んでくるのではなく、多分マジでそういう壁が見えていない人だった。大雑把でデリカシーが無かったが、私にとってはそういう人の方が心地よかった。相手がそうやって踏み込んでくるなら、私もそういうふうに踏み込んでいけた。
上司も私のことは気に入ってくれていた…と思う。我ながらそこまで手間のかからない部下だったと思うので。上司の仕事について行って、仕事のやり方を一度見たら大体のことは真似ができた。問題行動も起こさないし、煙草には付き合うし、まあ、多分あからさまに上司に懐いていたと思うし。可愛い部下じゃないか?我ながら。
というような内容を、今の上司にすべて話すわけにもいかなかった。とりあえず、新卒で入ったときの教育係で、良いことも悪いことも、社会人としてのすべてを学んだ、とてもお世話になった人です。というような話をした。
前の職場の上司のことを良いように語られてもあまり良い気はしないのではないか。そういう不安もあったし、私は自己開示が苦手なので、絶対に正確に前の上司の姿は伝わっていないと思う。
翌日、つまり今日は雨が降っていた。めちゃくちゃ寒い日だった。朝、同期の車に乗せてもらって、会場に向かった。
車の中では結構明るく話をしたと思う。久々に同期に会ったし。ドタバタしながら買った袱紗のサイズが明らかに小さく、香典袋を入れられなかったので笑った。私これ何買った?ただの紫のでかい名刺入れ?
亡くなった上司の話もした。同期もショックを受けていた。同期は亡くなった上司と部署は違うが、喫煙所で仲良く話す仲だった。いつもと変わらず元気そうで、彼女にフラれたショックで休職している中途採用の人の話で一緒に笑ったのが最後で、その翌週には倒れたという話を聞いたと。
何してんだよという気持ちが大きいという話もした。私もそうだった。〇〇さん、何してんだよ。何お父さんに喪主やらせてんだよ。今年の初めに次長になったって聞いたよ。何私に喪服を買わせてるんだよ。私に喪服を買わせるのがまさか〇〇さんだと思わなかったよ。意味不明なサイズの袱紗も、車の中で〇〇さんのせいにした。
同期と明るく話しながら会場に向かった。私は実は緊張していた。上司のご家族や、ご遺体に会うというのも緊張するし、前の会社の人たちに会うのも久々だった。
私は人と話すときに自然と口角が上がってしまうのだが、それはちょっと意識してセーブした方がいいのかなとか思っていた。
会場の玄関横には喫煙スペースがあり、職場の人がいた。めちゃくちゃ久しぶりだったが、お、同期で来たんだ。と言われて、少し安心した。この人とは朝まで飲んだことがある。覚えてくれていた。お久しぶりです。ご無沙汰してます。とか同じ意味の言葉を謎に繰り返した。うん。会場2階だよ。と言われた。
2階のロビーには職場の人がもう既に大体集まっていた。ほとんどの人が私のことを覚えてくれていた。いきなりの前の職場の空気にややパニックになった。特に関わりの深かった人や、事業部長などに挨拶して、香典袋をご家族に渡す。引き続きちょっとしたパニックになっていたので、袱紗のことなどは半分頭から飛んでいた。受付は会社と一般の二手に分かれており、私は同期に促されて一般の方へ向かった。香典袋を渡して、自分の情報を紙に書き込む。故人との関係の欄の会社関係にチェックを入れたので、ちょっと怪訝な顔をされたと思う。パ二くっていたのでこれには後で気づいた。
会場への扉は開けっ放しになっていて、奥に飾られた写真が見えた。多分、社用の証明写真だった。私もどこかで見たことがあるような。中に入り、先に焼香をあげ、顔を見ることを促される。顔見るの怖え。同期がそう言った。私もそう思った。
中には既に何人か座っていた。参考にできる人が少なく、全然よく分かっていない状態で、家族に礼をしたり、焼香をあげたりした。数珠は持っていたが手は合わせなかった。失敗…だよな。これは。分からねえ、ルールが。
上司の棺をのぞいた。これはどの故人にも思うが、化粧を施された状態だと、人形感が強くなって、非常に違和感がある。上司は険しい顔をして眠っていた。でもこれはこの人の普通の寝顔なんだと思う。昔、車で仮眠を取っているときの顔もこんな感じだった。
再び家族に礼をして、席に戻った。なぜだか顔を見たら実感が遠のいた。辞めて数年経って同期と電話をしていたときに、〇〇さんは急に老けた。という話を聞いていたので、もっと年をとっているのかと思っていたが、記憶とそこまで変わらなかった。ちょっと太っただろうか。花に囲まれていたので、よく分からなかった。動いている〇〇さんが見たいと思った。
葬儀が始まるまではじっとしていた。葬儀までの時間、親族であろうおばあちゃんたちが〇〇さんの棺をじっと見て話しをしていて、それを聞いて初めてちょっと泣けた。
上司の家族なども観察してみる。お父さん、お母さん、妹さん。お父さんは上司そっくりだった。お母さんは小柄だが、妹さんは背筋をピンと伸ばして、座っていても背が高いことが分かった。上司は独身で、長男だった。これから家のことなどは妹さんがやっていくのだろうか。いらん心配をした。
葬儀参列経験があまり無いので分からないが、簡素な葬儀だったと思う。お経、焼香、弔電、家族の挨拶があった。全体で1時間くらいだった。
親族の数より、会社関係者の数の方が多かった。多分、私が辞めた後に入った新人の子(そして既に辞めているらしい)もそれなりにいた。
送られた花も、当時私も付き合いのあった協力会社などが多かった。弔電も知った人が多い。上司と付き合いの深かったお客さんの名前が読み上げられて、懐かしい気持ちになった。
葬儀中の私は、とにかく焼香を完璧にこなさなければならないと緊張していた。先に焼香を済ます人たちをじっと見て、真似をすることに全力を注いだ。
最後の挨拶は、上司の叔父さんが済ませた。
甥はやんちゃで、人懐っこくて、営業がきっと天職だっただろうと言った。私も常々〇〇さんは営業が天職だなと思っていたので、全力で同意した。でも、〇〇さんは優秀だから、多分どんな仕事でもやっていけていただろうとも思った。こういうとき、喪主のお父さんではなくて叔父さんが挨拶をする場合もあるんだなと思った。正直助かった。お父さんの挨拶で泣かない自信が無かった。
式が終わり、一度ロビーに出たが、少し時間を置いて、最後の挨拶のために会場に戻る。棺に花を入れるやつだ。棺の横で、さっきのおばあちゃんたちが小さく声を上げて泣いていた。私はなるべくそれを視界に入れないようにしながら、ピンク色の花を取って、上司の右腰辺りに置いた。最初に顔を見た時と印象は変わらない。胸のあたりに、煙草が置かれているような気がしたが、あまり長い時間見ることが出来なかった。
1階までエレベーターで棺が降りてくるということなので、皆階段で1階の出入り口に集まった。外は土砂降りだった。ありえないくらい冷えた空気が出入口に入りこんできていた。
棺は霊柩車まで私も見知った営業のメンバーで運ばれた。同期は行かなかった。同期はこういうとき動かない。部署が違うけど世話になったろ。
棺が霊柩車に乗ったあと、1階でお父さんから最後の挨拶があった。完全に油断していた。葬儀の最中に済んだものだと思っていたので。
お父さんは言葉を詰まらせながら、しかし、冷静に挨拶をした。私は奥の方でお父さんを真正面から見ていたが、お父さんは本当に〇〇さんそっくりだった。20年後の〇〇さんと言われても信じられる。
当たり前だが、お父さんは〇〇さんのことを息子と呼んだ。息子のためにお集まりいただきありがとうございますと。この人にとって、〇〇さんは息子なんだと思った。〇〇さんは親不孝だなと思った。43歳で、不摂生で死ぬなんて。
お父さんは若造を快く受け入れてくれた会社に感謝していると言った。今度は〇〇さんのことを若造と言った。私にはこっちの方がしっくりきた。私が入社した当時、私は22歳で、〇〇さんは30代後半だったと思うが、きっとこの人はもっと若いころ、下手したら今も、周りから若造と呼ばれるような立ち振る舞いをしていた。
周りからすんすんと鼻をすする音がする。私も泣いていた。親族の挨拶なんて一切関わりがないとして泣ける気がする。
霊柩車が行ってしまって、空気が弛緩した。終わったという空気だった。私もすっかり落ち着いて、朝はパ二くってうまく挨拶できなかったので、再度知っている人に挨拶をした。皆そんなに変わってなかった。私も変わらないねと言われた。5年じゃ意外と人は変わらないものなのかもしれない。今度は笑って話せたし、冗談も言えた。
上司とも仲の良かった営業の先輩と、今でも電話で仕事のやり取りのある先輩と、改めて話した。来てくれてありがとうねと言われた。私は、こちらこそ、〇〇さんには本当にお世話になったのでと言ったが、最後の方は涙で声がかすれた。私が自己開示が苦手なのは、本音を言うと涙が出るからという理由がある。
上司と仲の良かった先輩は、当時は別の事業部にいて、一緒に仕事をやる時間こそ短かったが、後輩の面倒見が良い人で、私と話すときはめちゃくちゃ優しい顔で話しかけてくれた。
その人は私に、(〇〇さんは私が)一番可愛かったみたいよ。と言った。(私が職場に)戻ってこないかなーと言ってたよ。と。私はそれを聞いて今日一で泣いた。
次の会社が決まって、初めに〇〇さんに電話をしたことを思い出した。私が辞めそうな雰囲気は感じ取られていて、今日会社帰ってから時間取れますか?と聞いたら、〇〇さんは何も聞かず分かったと言った。電話を切ってから私はなぜか泣いた。辞めるのは私だというのに。
葬儀中は、私と〇〇さんはただ2年と少し同じ会社で付き合いのあった関係で、私はもちろん〇〇さんに数えきれない恩があるけど、〇〇さんにとって私は数年で辞めていく新卒の一人だろう。だから大丈夫。とりあえずこの葬儀は冷静にやり過ごそう。何も考えるな。よくあるお別れだ。大丈夫大丈夫。そういうことを思っていたので、それが決壊した。
私に気を使ったおべっかだったとしても、この言葉を今後のお守りにしようと思った。私は〇〇さんの一番可愛い部下。嘘でもいいと思った。もう私と〇〇さんの記憶は更新されない。答え合わせをする機会はない。
あとは、電話で仕事のやり取りのある先輩が、先週打合せのために会社に来たのだが、実はそのときに亡くなった上司も来る予定だったということを知った。上司が倒れた翌週が打合せだった。今考えれば、来社してくれた先輩の様子がどことなく変だったかもしれない。私は何も知らずに対応していたので、心苦しかっただろう。(その日の夜に同期から上司が倒れたことを聞いた)
もう少し早く打合せの日程を決めていれば、動いている〇〇さんに会えたのかもしれない。別の仕事をやっている私を茶化すために来る予定だったんだろうし、お前いつうちに戻ってくるの?と冗談か本気か分からないことを言われたんだろうと思う。まあ、今の会社を辞めることはないが、私はそう言ってくれることに喜んで、めちゃくちゃテンションが上がって、今まで通り懐いてしまったかもしれない。仕事の話そっちのけで。
その機会を逃して惜しい気持ちもあったが、もし会えていたら今以上に悲しい別れになったと思うと、逃して良かったのかもとも思う。いや、分からない。動いている〇〇さんにもう一度会いたい。
すべてが終了したあと、同期と焼肉店に行って、ランチを食べた。がっつり何かを食べたい気分だった。同期は結婚していて、小さな子どもがいる。もう煙草やめたら?という話をした。同期もそう思っていると言ったが、今日だけ吸うわと言った。